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 千切れた花びら

 日が暮れようとしている。室内の薄汚れた壁は、西日に照らされ赤く塗り替えられていた。
 羅依(らい)は、職員に連れて行かれる賞金首の男を見送り、窓口で手続きを済ませていた。廊下には男の罵声が響いている。
「たまには首だけでもいいんだよ」
 そばに立っていた、係りの男が言った。横目に見上げると、髪を短く刈り込んだ中年の男だった。羅依は言葉を返さずに、書類に向かった。
「あんただって、生かして捕まえる方が難しい場合もあるだろう」
「何が言いたい」
「いやまぁ、うちの区分に持ってきてくれるのは構わないんだけど、一応ね、収容室にも限界があるんだよ」
 男は頭を掻いて、低い声で言った。羅依は文字を書く手を止めて、男を睨んだ。
「だから、何が言いたい。ここへ持ってくるなと言いたいのか」
「違う。そうじゃないよ。あのね」
「室長、お客さんですよ」
 部屋の奥から呼ぶ声に、男は軽く手を上げた。ため息をついて、頭を掻く。
「まぁいいや。でも考えといてよ」
 羅依の肩を軽く叩き、男は小走りで部屋の奥に消えた。
「あの、気にしないで下さいね」
 室長の姿を目で追っていると、机越しに座る職員が小声で囁いた。肌の白い若い女で、よく見る顔だった。笑うと両頬に小さな笑窪ができた。
「室長てば、収容室の掃除当番が嫌なだけなんです。賞金首を受け入れれば手当金が出るんで、あれでもすごく喜んでるんですよ。悪い人ではないんです。ただちょっと、ものぐさなだけ。だから気にしないであげて下さいね」
「随分、庇うんだ」
 羅依は書類に向かい言った。
「そう、見えますか」
「まぁそれなりに」
「やだな、そういうつもりじゃないんですけど」
「じゃあ、どういうつもりで?」
 書類の記入を終え、羅依は数枚の紙を彼女に渡した。胸元の名札には、仄佳(ほのか)とあった。彼女は受け取った書類越しに羅依を見た。
「あの、何て言うか、あなたがこの地区に来なくなったら、寂しいから……」
 そう言って彼女は大きく手を振った。
「あ、別に、変な風に取らないで下さいね。気持ち悪いことはしませんから」
「はぁ」
 羅依は呆れて肩を落とした。意識したことはなかったが、この地区に来たときは、なぜかいつも彼女が処理を担当していた。
 仄佳は淡く頬を染め、書類の確認を始めた。
「だってね、ここに来る人ってみんな、大きな声では言えないけど、ちょっとね怖い人ばかりなんですよ。体の大きい人とか、いつも怒ってる人とか、一言も話さない人とか。私、何度も転職とか考えてるんです」
「はぁ……」
 仕事の手際は決して悪くはなかった。だが羅依にはとても長い時間に感じられた。こんな話を聞くためにここにいるのではない。仄佳は羅依の苛立ちに気付かず話し続ける。
「でもね、羅依君みたいな人に会うと、安心するんです。この人たちのおかげで、街が守られてるんだなって、素直に思えるんですよ」
 仄佳は書類全てに確認済みの印を押し、控えを羅依に返した。羅依は押し黙って、そこに書かれた金額を見た。これで当面の生活費が確保された。
「私には何の力もないけど、この仕事なら間接的にだけど少しでも街の力になれる気がするんです。街を支えるというか。そうしたら、私もただ守られるだけではないような」
 仄佳は机に封筒を置き、その上に紙幣と硬貨を並べた。細く白い指が、羅依の目に映る。羅依は思わずその手を取った。仄佳は驚いて顔を上げた。
「あ、あの」
「そんなに守りたいの」
「えと……」
 耳まで真っ赤にして、仄佳は瞬きを重ねた。
「私も役に立ちたいもの」
 困惑を隠せないまま仄佳は頷く。羅依は涼しい顔で彼女を見つめた。
「贅沢な話」
「え」
「俺は、誰かに守られるだけの存在になりたいよ」
「羅依君……」
 羅依は大人びた笑みを浮かべると、手を離し、稼いだ金を封筒に入れた。折って、担いだ鞄に突っ込む。
 仄佳は弱々しく手を握り、呆然と羅依を見上げた。闇を知らない無垢な瞳が、整合性を求めて彷徨っている。羅依は衝動的な行動を反省した。
「もし生まれ変わったら、お姉さんみたいな人になりたいかな」
「どうして」
「お姉さんみたいに、かわいくなりたい」
 鞄を担ぎ直して、胸の前におりていた淡紫色の髪を背中に払う。
「そして、守ってあげたいって、思ってもらいたい」
 視界の隅で、西日を受けた大きな硝子の扉が開いた。光が部屋を薙ぐ。羅依は目を細めて入り口を見た。
「大変だ! 鬼使(きし)からの予告状だ!」
 駆け込んできた若い男は、外を指差していた。入り口に人が集まる。羅依もその群集にもまれた。小柄な体を活かして表へ出ると、男が指差す先の空には光が刺さっていた。夕焼けの輝きにも負けない、激しいほどの煌きを放ち、それはまるで天を衝く柱のようだった。表面に文字が流れている。
「ここに天への道を拓く」
 羅依は書かれた文字を声に出し、知らず嘲笑を滲ませた。
「おい、鬼使を討ち取れば一生遊んで暮らせるぜ」
「馬鹿言え。どれだけ殺されたと思ってるんだ。行ってもどうせ無駄死にだ」
「でも、大勢で取り囲めば」
「山分けしても相当な金額だぜ」
「おい、話に乗る奴は他にいないか」
「俺も行くぜ」
「おう、俺も乗った」
 周りにいた賞金稼ぎは一団になって話を進めていた。何人かはその場を立ち去ったが、それでも参加した者の方が多かった。羅依は盛り上がる男たちを横目に、宿へと戻った。
 宿の中でも一番小さな部屋を取っていた。相部屋を避けようとすると、仕方のないことだった。壁際に荷物を投げ下ろし、固い寝台に寝転がった。
 天井を見上げると、先ほど見た光の柱が思い出された。
 強く激しい輝きだった。だが羅依には行き過ぎて千切れそうにも見えた。鬼使からの言葉は、彼の強がりにも感じられた。
 鬼使・瞬。突然現れた悪魔のような男は、俗界を一瞬で恐怖に染めた。触れずに人を殺せる。目を見ると気が狂う。様々な噂が飛び交った。それらはどれも信憑性があるようで、また同じくらいおとぎ話のようでもあった。
 本当にそんな存在があっていいものなのか。
 搾取し続け、何ものも失わずに生きていけるなど、あまりにも不公平だった。そんな存在はあってはいけない。
 部屋の窓から染みていた夕焼けはすっかり失せ、目は薄暗闇に慣れ始めていた。
 羅依は起き上がり、服を脱いだ。水を浴び、心を研ぎ澄ます。
 なぜ鬼使がここへ来たのかを考えてみた。なぜ鬼使が奪い続けるのかを考えてみた。
 どれだけ命を奪っても、彼に搾取した手触りはなく、たとえ世界を手に入れても、彼は何も持たない。それが彼の真実により近いとしたら、羅依は少し鬼使の気持ちがわかる気がした。
 寂しさに負けた心が、人を求める。だが、求めて触れた瞬間に自ら手放してしまう。

 二度と、失わないために。
 不意を突かれて、その手を振りほどかれないために。

 温もりはまるで短命な花のようだった。咲いたかと思えば、次の瞬間には変色し萎れていく。それが世界の摂理とわかっていても、枯れていく花を抱き続けることはあまりにも悲しかった。たとえ自らの弱さゆえだと知っていても、満開の花が道に連なることを夢見た。
 濡れた体を手早く拭い、胸に固い布を巻きつける。ささやかな膨らみは乱暴に押し潰された。服をまとい、髪を束ねる。上着の裏に短刀を確認し、羅依は荷物を担いだ。
 宿を出て、光が射した方へ走る。前へ進むほどに何かが失われていくのだとしても、求め続けるしかなかった。進まずにいることはできなかった。
 なぜなら、世界は立ち止まることを知らないから。
 立ち向かう風を切るごとに、羅依の足元には千切れて枯れた花びらが舞い落ちた。

(2009/03/15〜2009/09/16 WEB-CLAP)

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