卓上の料理はきれいになくなった。由稀が箸を置くと、梅煉がにこやかに皿を下げた。
「おいしかった、ありがとう」
「こちらこそ、こんなにきれいにしてもらって、料理人冥利に尽きるよ」
厨房に皿を置いた梅煉はふと顔を上げた。
「そういや、あんたたち一体何しに天水へ来たのさ」
「ねぇ梅煉。もしかして、ほんとにたった今気付いたの」
詩桜の問いに、梅煉は不思議そうに頷いた。
「最初に気付こうよ」
「何言ってんだい。あたしはね、飢えた子を見たら満腹にしてあげたいとしか考えられなくなるんだよ」
「満腹なりましたー」
由稀は両手を上げて振った。梅煉は満足げに頷いた。
瞬はじっと梅煉を見つめた。視線に誘われ、梅煉は皿を洗いながら瞬を見た。深緑の瞳に悲しみの色を悟る。
「そうか、無理だったんだね」
梅煉は水をとめて手を拭いた。明言しなくとも、何がと聞き返す者はいなかった。詩桜は椅子の上で膝を抱えて顎を乗せた。切り揃えられた前髪に、灰色の瞳は翳った。
「城には行ってきたんだね」
「ああ。話してきた」
「そうかい。大変だったね」
それは母の温もりだった。瞬は煙草を持つ手で頬杖をついた。
「これからどうするんだい」
「こっちに来たのは、それだけじゃないんだ。色々と厄介なことに巻き込まれて、それを解決しに来た」
瞬はそう言って、由稀を振り返った。
「さぁ由稀、作戦会議といこうか」
「そうだなぁ」
由稀は頭の後ろで手を組み、背を逸らした。視界の隅で、炎が揺れる。赤い残像に地下書庫の炎が重なった。
あの時、内側から強引に腕を引きとめられた。手を伸ばした先には何があったのか。見当はついていたが、アミティスを出るまで確かめることはしなかった。
鬼の、久暉の脆い優しさを尊重したかった。
体から久暉が抜けていく時の、引き裂かれるような痛みが時折走る。あの痛みは、久暉のものでもあったのではないか。
由稀は体を起こした。
「話がしたい。あの二人と」
「それで済ませる気かよ」
紅は煙草を取り出して火をつけた。
「あんな目に遭いながら、甘くないか」
「いや、うん。なんていうか、まだ責める材料が揃ってないっていうか、色々と消化不良なんだよな。だって俺ら、久暉の住んでた世界のこととか全く知らないだろ。青竜が竜族を、その、滅ぼすまでに苦しんだこととか。実感として掴めないんだ。なんとなく、竜樹に行けばまだ竜族がいるような気がして。俺は青竜から、そこまでの憎しみを感じられなかった」
言葉を一つ一つ確かめながら話す由稀に、紅はため息をついた。
「お人好しだよ」
「それでもいい。お人好しでもいいから、二人の口から聞きたいんだ。それに、青竜と久暉のあの強い絆も気になる。久暉を助けるために、斎園のために、竜族の青竜がどうしてあんなにも面倒な芝居をし続けたのか。伝説なんてでっち上げて、俺たちに吹き込んで、記憶まで弄って、そこまで手の込んだことをする必要がどこにあったのか。知りたいんだ」
顔を上げると、羅依が涼やかな微笑を浮かべていた。
「羅依」
「あたしも、知りたい」
彼女の笑顔には、裏がない。まるで何も知らない子供のようだった。気持ちの全てで、由稀の我儘に近い意志を受け入れていた。青竜がどんなに酷いことをしていたとしても、彼がいなければ羅依たちと出会うことがなかった。そう思うと、青竜をただ非難することも出来なかった。
「よくわかんないけど、人探しに来たってことなんだね」
「ああ。俺がこっちへ飛ばした」
「なぁ、どこにいるとか、わかったりするのか」
「そうだな、わからないこともない」
「何だよそれ」
由稀は思わず笑ったが、他に笑うものはいなかった。すぐに声を飲み込む。
瞬は脚を組み替えてぼんやりと壁を眺めていた。由稀には彼の思考が読めなかった。
「気になることがあるのか」
聞いたのは羅依だった。椅子の背もたれに腕をかけ、瞬を振り返っていた。瞬は視線を羅依に向ける。目を伏せて頷いた。
「竜族のことなんだが」
煙草を吸って、吐く。
「龍羅飛と何か繋がりがあるように思うんだ」
「え」
由稀は座ったまま身を乗り出した。
「どういうことだよ。何でそんな話に」
あまりにも突拍子もない考えに、由稀の頭は混乱した。瞬はゆっくりと煙草をくゆらせ、気ままに流れる煙を目で追った。羅依には瞬の緊張が肌に痛く感じられた。
「いくつか、そう思う点があるんだ。まず、竜族の外見的な特徴なんだが」
「そんなのあるんだ?」
羅依は呟いて由稀を振り返る。
「そういえば、夜上も青竜も黒いな」
「言われれば。久暉がいなくなってお前も黒くなったし」
「でも今は龍羅飛との共通点の話だろ。誰も黒くねぇじゃん」
「あ」
羅依は周りを見て言い零した。紅は自分の前髪を引っ張った。
「確かに」
「いや、違うんだ」
割って入った瞬の声には、普段の自信が感じられなかった。
「龍羅飛の大半は、黒髪だった。多少の例外はあったが」
「ほら、さっき話したろ。この子のお父さんとかね」
梅煉は詩桜を指差した。
「え、じゃあ瞬は」
由稀が言うと瞬は視線を逸らして黙り込んだ。梅煉が和やかに失笑して口を開いた。
「これも昔は、それはきれいな黒髪だったんだよ。でも手違いで染料をかぶってしまってね。特殊な染料だから元に戻らなくなったんだ」
「そうなのか」
そう相槌をしながら、由稀は瞬の整った横顔をあらためて見た。目にかかる薄茶色の髪を、想像の中で黒く染める。しかし見慣れないためか違和感が拭えない。沈黙した瞬の心は由稀にはわからなかったが、事故とはいえ、彼が染料をかぶって良かったと由稀は思った。本人がどんなに疎んでも、彼にはこの薄情で美しい髪色がよく似合った。不意の彼の優しさや温もりに、かえって誠実味が感じられた。
「じゃあ、紅は」
羅依は梅煉に向かって聞いた。梅煉は曖昧な笑みを浮かべた。横目に瞬を見るが、彼は梅煉を無視した。
「混血だから、何かが違っちゃったのかもしれないねぇ」
仕方なく話す言葉は、妙に浮ついていた。